今更ながらSSSS.GRIDMANを一気見したのでその感想と考察を書いていく。
ネタバレを含むのでまだ見ていない人は注意してほしい。
新条アカネ:何も解決していない
新条アカネは物語で敵として描かれ、最後には改心する少女である。
怪獣マニアである彼女は物語の序盤から終盤まで製作した怪獣にアレクシス・ケリブの力を借り命を与え気に食わない人間を殺し世界を良くしていた。
引用:SSSS.GRIDMAN
アカネ正体はこの世界の神様であり、全てを創造し自分好みの世界に変えていたが、最後にはこの世界から出ていく姿が描かれた。
怪獣を生み出し破壊していたことなどは内に秘めた暴力性の具現化だと思うのだが、今回はそもそもアカネが悪かったのかという考えをしていきたい。
アカネは怪獣を生み出し、人を殺したりしていたわけだがそもそもアカネはこの世界の神様である。
神様であるが故に、世界の秩序を守る必要性に迫られているとも言え不要な存在を処分するのは悪いことではないだろう。
誰がなんと言おうと、この世界の創造主であり創造主たる責任を取らなければならないのだから不要と判断した存在を消し秩序を守る責任を担うべきだと考えれば当然だが悪いとは思えない。
そもそもの話としてグリッドマンたちの都合により、怪獣は悪とされたが元よりアカネは怪獣を使い破壊と再生を繰り返していたといわれている。
破壊の後に神様が元より良い世界と思って再生をしているのだから、神様としての行動としては真っ当と言って良いだろう。
怪獣に殺させるのが悪いというのは自由だが、秩序を守る為にはきれいごとだけでは済まないのは言うまでもない。
アカネの怪獣で殺させることが悪いと否定するのであれば、所詮は神様の苦労を知らずに文句だけ言うクズとしか言いようがないだろう。
アカネの失敗を強いて言えばグリッドマンを排除すること、アレクシスを排除することが出来なかったのがアカネの失敗と言える。
神さまなのだから世界の人を殺し再建しようが、その行為を否定することは出来ないが外的要因から世界を守る必要性はあったはずだからだ。
また物語のラストでは六花たちに救われた描写になっているが、根本的には何も解決していない。
アカネは神の力をもっているのだから、それを行使しないという行為に置いてどういった被害が出るのか?
その責任を放棄するというのであれば、最終的にはアカネは自分の持つべき責任を放棄したという行為により自らを責めるだろうからだ。
結局は神様の苦労を知らず、それっぽくいい話に終わらせているに過ぎない。
神さまが力を振るわなくなり、グリッドマンも消えた世界を誰が守るのか?
グリッドナイトに丸投げしているとしか思えず、グリッドマンの自分勝手が過ぎる行為も看過できず攻めるべきはグリッドマンだろう。
アレクシス・ケリヴ:世界の救世主
物語では悪として描かれたアレクシス・ケリヴだが見方によってはこの世界の救世主とも言える。
怪獣に命を与え破壊させたり、最後にはアカネを怪獣に変えた後に取り込むなど。
やっていることが良いこととは思いにくいが、よく考えれば言うまでもなくアレクシス・ケリヴは悪くないのでその考えを書いていこう。
引用:SSSS.GRIDMAN
物語で悪として描かれ、見た目も悪い存在だが彼はこの世界の救世主だったともいえる。
世界は神様であるアカネにより創造され、その事実を知った六花などは苦しんだのは言うまでもない。
そう、この世界の住人はアカネにより想像された存在であり化物から生まれたという事実を知った場合に絶望と表現するのも生ぬるい感情をいだくだろう。
世界の真実を知ることで、この世界の人々は想像を絶する絶望を感じてしまうのは言うまでもないといえる。
つまり、アレクシス・ケリヴはアカネが生み出した人々を最大の絶望という名の最大の苦痛から解放するために世界を破壊したとも捉えることは出来る。
勿論、その試みは失敗に終わってしまったが、あまりに絶望的な真実を知ってから逃れる事のない死を迎えるか?それとも怪獣にアッサリ殺されるか?
どちらが楽なのかは言うまでもなく、結果としてアレクシス・ケリヴの行為を責めることは難しい。
アレクシス・ケリヴが人を救う事を考えていたとは考えにくいのだが、結果としては作られた人間であるという絶望から人々を救おうとしていた事になるわけだ。
こうなってくると逆にグリッドマンが何のためにアレクシス・ケリヴを止めたのか?という疑問しか残らないのでグリッドマンを考えていこう。
グリッドマン:イカレタ正義
物語のタイトルにも含まれているグリッドマン。
彼の正体はハイパーエージェントを自称するエネルギー体であり、アレクシス・ケリヴと同じく外の世界からの住人と考えられる。
引用:SSSS.GRIDMAN
響の身体を乗っ取りアカネが想像した怪獣たちと戦い街を守っていたが、その本当の目的は世界平和ではなくただただに任務としてアレクシス・ケリヴを逮捕することだったと考えられる。
逮捕という表現が正しいかは難しいのだが、ハイパーエージェントを呼称している以上、グリッドマンはどこかの機関のエージェントであるのは言うまでもない。
グリッドマンが所属している機関の条例に反したためにアレクシス・ケリヴは罪人となり追われていたと考えられ、グリッドマンは逮捕する為に送り込まれた存在といって良いだろう。
グリッドマンはエージェントなわけだが、そもそもの話としてアレクシス・ケリヴがなぜ追われていたのかは分からない。
彼の行為によってアカネに創造された人々は最大の苦痛から解放される可能性があったにも関わらず、グリッドマンはお構いなしにアレクシス・ケリヴを拘束し世界を身勝手に再生し消えていった。
アカネの項目で触れた通り、本質的には何も解決していないのに…だ。
考えれば考えるほどにグリッドマンの行動が本当に正しいのだろうか?という疑問が残る。
しかし、この疑問に対しては1つの答えが適切に当てはまる。
その答えとは『正義』という概念である。
正義とは良し悪しとは全く別の概念であり、グリッドマンは自らの所属する組織の正義に則り邪悪な存在であるアレクシス・ケリヴを拘束するのが目的だったのだ。
アカネが創造した世界になど微塵も興味がなく、ハッキリ言えばアレクシス・ケリヴを拘束できれば世界のことなどどうでもいいというのがグリッドマンと新世紀中学生たちの本音であろう。
だからこそ、世界の神様であるアカネが神の力を振るわくなり、グリッドマンの力でどさくさ紛れに勝手に再生された世界が荒れ果てる可能性があるにも関わらず、平然と去っていたと考えられる。
もっと言ってしまえば、最後の光線にてグリッドマンが世界を再生したが、再生された世界の人間の創造主は誰なのか?
これは言うまでもなくアカネではなく、グリッドマンだろう。
アカネが生み出した世界のはずだが、既にグリッドマンの支配下に置かれたとも考えることが出来、支配権を奪う為にあかねをアレクシス・ケリヴに吸収させたと疑われても仕方ない。
あくまでもアカネ達にとってと前置きをさせてもらうが、最悪の場合として考えられるのがアレクシス・ケリヴが元よりグリッドマンの仲間の可能性だ。
作中ではアレクシス・ケリヴが神であるアカネに近づき生み出させた怪獣が次々にグリッドマンに倒されていった。
しかし、怪獣を生み出す際にわざと負けるように怪獣の力を調整し、神であるアカネの心を壊し吸収したとも考えられる。
その後、アレクシス・ケリヴとグリッドマンが戦っているふりをし、あくまでも戦いの流れで世界を再生せざるを得ない体で誰にも疑問をいだかれることなくグリッドマンが世界を再生しアカネの世界を乗っ取ったと考えることが出来る。
こうして冷静に考えればグリッドマンとアレクシス・ケリヴがグル出ある可能性は大いにあるだろう。
既に支配下に置いた為にグリッドマンは神さまが不在であり安定感にかけるはずの世界から何事もなかったかのように離れていったこともうなづける。
再構築した人々がグリッドマンたちに危害を加えないことを確信しているからだ。
ラストの実写:六花?
物語のラストで意味深な実写が描かれた。
引用:SSSS.GRIDMAN
登場した女性は六花のような黒髪ロングであり、物語ラストにて六花がアカネに手渡した定期入れの色違いを持っていたので六花で間違いはなさそうではある。
しかし、六花であるという確証が持てる何かがあるわけでもなく、もしかすると続編の告知の可能性かもしれない。
アニメで人気だったSSSS.GRIDMANの実写映画などが来てくれれば観に行きたい人は多いだろうし、僕も観に行きたいと思っている。
最後の実写が何を意味しているのか?が楽しみなところだが、情報が少なすぎてただの演出の可能性も否定できない。
個人的には実写映画化が決定しているor製作を考えているからの演出だと思うが、確定的な情報はないので過度な期待は禁物である。
実写化であることを祈っている!
まとめ:グリッドマンが怪しすぎる
物語を今更ながらに見たが、結果として言えばグリッドマンが怪しすぎるという事だ。
勝手に世界を再構築し放置するという狂気の行動を平然と行った行為や、やはりアレクシス・ケリヴとグルの可能性が否定できないことが疑わざるを得ない理由である。
敵ではないと信じたいのだが、既に世界を乗っ取られているとすれば敵という概念すら抱けないだろう。
これはアカネが創造した人間たちに自分を好くようにしたという原理と同じで出来るが予想でき、グリッドマンがそれをしない理由はどこにもないからだ。
世界の神さまがアカネからグリッドマンに代わった。
ただそれだけの物語の可能性もあり、グリッドマンの悪行を描いた作品の可能性も否定できない。
人気ゆえに次回作も制作されると思うが、グリッドマンが人類にとって本当に良い存在なのか?
次回作があればその点に注目してみていこうと思う。
正義を語る奴を信じてはいけない。
いい教訓になるアニメではあった。
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