世界的にも不思議なものとして知名度が高い1つがイースター島にあるモアイ像です。
人の胴体から頭部を掘った謎の石像であり、イースター島には合計で1000を超えるモアイ像が存在しているといわれています。
機械も存在しない太古の昔にどうのように作りだしたのか?
そもそも何のためにモアイ像を作っていたのか?
多くの謎があるモアイ像について、色々と調べてみましたのでまとめておきます。
モアイ像:凝灰岩とは
モアイ像と呼ばれる像が何で出来ているか?から紹介していきます。
モアイ像はイースター島で産出される凝灰岩(ぎょうかいがん)で作られています。
この凝灰岩とは火山から噴出された火山灰が蓄積されることで岩石になる物です。
一般的な石材と比較すると、柔らかい部類に入る石となり加工には向いています。
しかし、火山灰が元であるが故に風化やしやすいなど細かない加工などには向いていないという性質もあるんです。
もしかすると、モアイ像が巨大化していった理由。
それは、モアイ像の風化を目立たなくする為だったのかもしれません。
大きなものの小さな綻びは目立ちにくいですからね。
大きさと重さ:いつ作られた?
モアイ像の元を紹介したところで、大きさと重さについて触れていきます。
モアイ像の大きさは基本的に高さ3.5mで重量は20トンです。
が、最大の物の大きさは驚くことに高さが20m、重量は90トン。。。
重機がない時代にこれを動かし、立てていたわけですからイースター島の人々にとってどれほど大切なモノだったのかは容易に想像できるでしょう。
科学的知識が増えている現代人ですら重機を使用せずには、動かそうとも思わない代物ですからね。
相当な思い入れがあったのでしょう。
ちなみにですが、モアイ像が作られていたと推測されているのが
10世紀~16世紀
であり、この間に作り続けられていたことが推測されています。
製造の目的:意味は信仰
モアイ像が何で出来ているかを紹介したので、製造目的について紹介します。
イースター島でモアイ像が作られていた真相。
それ自体は今なお完全には解明されていません。
しかし、既にほぼ間違いないのではないか?という答えがありますので紹介します!
イースター島でモアイ像が作られた理由は、太古の昔にモアイ像が作られ立っていた頃の
顔の方向
から推測されています。
元々モアイ像は海に対し背を向け、島にある村々に顔を向けていました。
この事から、モアイ像が作られた理由が海からの侵略者に対する威圧ではなく
島の人々を守る存在であり信仰の対象
だった可能性が最も高いといわれています。
また最近の研究からモアイ像の近くで人骨が見つかったこともあり
お墓の可能性
も考えられてもいますが、それにしては1つ1つが大きすぎるので疑問視されています。
有力者だけの墓であれば納得ですが、1000体近くもあったことからそれはあり得ないでしょうからね。
かといって、皆のお墓を20トン級にしていては生活が成り立たないでしょう。
お墓の可能性もありますが、結局モアイ像は最初に書いた通り謎のままです。
モアイ像が倒された意味:戦いがあった
1000体近くあるモアイ像ですが、その全ては倒されていたんです。
この理由は何だったのか?
それはイースター島の人々が争ったのではないかと言われています。
イースター島は謎だらけなのでこれも真相は分かりません。
しかし、資源が豊富だったイースター島の人々が滅んだ理由は人同士の殺し合いである可能性も言われています。
なにかのもめ事を理由に互いに距離を置くようになり
個々の村が力を示す為にモアイ像が巨大化
していった。
そう考えると、モアイ像が後世になるにつれ巨大化していったという理由には納得できますし。
武器を手に取り、殺し合いが終わった後に相手のモアイ像を全て倒していった。
こう考えれば、モアイ像が全て倒れていた理由も納得は出来ます。
ただ、問題としては最後まで勝ち残った村の人々が自分たちのモアイ像を倒したことになることです。
自分たちが作ったモアイ像にも恨みがあったということになりますから。
1720年頃に西洋人が見つけたころには、既に島民は200人程度。
いったい何があったのかは謎となっています。
森林伐採は違う:運び方を科学的に推測
1万人程度いたと推測されるイースター島の人々が200人程度まで減った理由について。
よく言われるのが、モアイ建造のために木々を使い土壌を保てなくなりその結果、飢餓によって衰退したという話です。
しかし、これについては現代科学で証明されたモアイ像の運び方からかなり可能性は低いです。
モアイ像をラノ・ララクと呼ばれるモアイの製造所。
そこから平均して20トンもあるモアイ像をどのように運んでいたのか?
丸太を並べていたなど、様々な案があったのですが20トンの代物を重機なしで動かすにはあまりにも弱すぎる案ばかりが並びました。
モアイ像の運び方は長らくの間、解明できなかったのですがモアイ像の形状から推測が建てられました。
その動かし方がこちら。
モアイの頭の部分に3本の綱を巻き付け、左右が交互に引っ張り後ろの綱で転ばないようにバランスをとるという運び方です。
モアイ像には共通して前面下部は斜めに切り口が入っています。
この部分が長年謎だったのですが、この部分の傾斜のお陰で左右に引っ張ることで前に進むのではと推測!
研究者は実物のレプリカでこの運び方で人力だけで運ぶことに見事に成功しています。
モアイ像を運ぶための丸太も数を用意はできませんし、現実的に丸太だけで20トンはまだしも90トンは動かせないでしょう。
特に立たせたまま丸太で運べるほどの大きさはありませんからね。
丸太説よりも、綱引き説の方が確率は高いと思います。
返還を求める:失われた友
イギリスにある大英博物館に展示されているモアイ像。
それに対して、チリ領イースター島の知事らが返還を求める声明を出しました。
このモアイ像は元々は1868年にイギリスの探検家からエリザベス女王に献上されたものです。
そういった経緯もあり、モアイ像をイースター島に返してほしいという訴えが起こっています。
また、この他にも多くのギリシャの神殿から削り取られた展示物など探検家がイギリスに持ち込んだものであり
元の国に返すべきでは?
という議論が起こっており、これに対して複製品を博物館に展示する方針を考えているようです。
まとめ:モアイ像は謎だらけ
色々と調べてみたのですが、現代でもモアイ像は謎だらけです。
運び方については近代になってかなり真相に近づいた気はするんですけどね。
そこまでしてモアイ像を運んでいた理由は今なお見つからないのが気になるところです。
太古の人がなぞ20トン~90トン級の物を作り、大変な想いをしてまで運んでいたのか?
今後も研究が進んでいくと追われるモアイ像。
明かされる情報から目が離せませんし、死ぬまでに解明されてほしいと思います!
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